夢女子(25)、苦悩と幸せは反比例なのか






K」という作品を知っているだろうか。めちゃくちゃかっこいい異能力バトルを描いたアニメ作品その他である。



私はKに出てくる「八田美咲」のことが死ぬほど好きで、誰がなんと言おうと付き合っている。これは「付き合っていない」と言われても本当に付き合っているので否定のしようがない。



私はKの一期をリアルタイムで見てはいなかったのだが、その後色々あって全話を見た。Kの登場人物は美男美女しかいないと言っても過言ではない。正直どのイケメンを好きになってもおかしくはなかった。



しかし私は完全に八田美咲くんの虜になってしまったのである。




美咲くんは1期放送当初19歳の設定。2期放送開始時には20歳で、2期の時間軸では私と同い年だった。



1期の頃から勿論完全に美咲くん推しだったのだが、「付き合う」というほどではなかった。しかし2期では上記の通り年齢が同じで何故か親近感を感じ、更に2期の美咲くんは物語が佳境を迎えるにつれ目まぐるしい成長を遂げていった。



乱暴で、口が悪くて、女の子が苦手で、情に熱いだけの男ではなくなっていたのである。



Kの視聴者であれば誰もが知っている美咲くんと猿比古の確執。2期の美咲くんは2人の歪み切った関係を修復してみせたのだ。



「分かるように言えよ!分かるまで言えよ!」



美咲くんの言葉は優しさなんかではない。もちろん美咲くんはめちゃくちゃ優しくて最高の男だが優しいだけでこの言葉は出てこない。優しさだけが猿比古の心を解くのならとっくに解けていただろう。そうじゃない、美咲くんは猿比古に正面からぶつかっていった。



こういう話をし始めると「猿美(ホモじゃない、×ではなく+というのが私の猿美)」の話になってしまうのでやめようと思う。



とにかく私は2期の美咲くんがあまりにもかっこよすぎて完全に彼を愛してしまった。




私は物心ついた頃にはオタクだった。周りにもオタクがいたので普通だった。多分私が小学生の頃に、「付き合った女性が実は腐女子だった」という内容のエッセイ的なものが出版され、腐女子という言葉が世の中に割と浸透し始めていた。



まぁ私は小学生だったので版権サイトを見て「A×B最高!」といったように友人と盛り上がったりするのがオタク活動の中心だった。



しかし同時に私は夢女子でもあった。



周りには腐を好む子のほうが多かった気がする。それでもメル画なんかが流行っていた時代だったので別に迫害を受けていたわけではない。



けれど私はそれを自分の中だけで楽しむのが好きだった。自分の中だけで設定を考え、シチュエーションや台詞を思い浮かべていく。寝る前にベッドの中でひとりそれを考えるだけで幸せだった。



少年漫画だけではなく、それと同じくらい少女漫画が好きだったことも夢女子となった所以かもしれない。とにかくかっこいい男の子に「守られる」というシチュエーションが好きで好きでたまらなかったのだ。



そんなわけで私は物心ついたときにはオタク、中学校に上がる頃には完全な夢女子となっていた。




そして私はその心を失わないまま25歳になった。

 


25歳になっても「アニメのキャラクターを好きになるなんてバカバカしい」という感情を失わなかったうえに、25歳ならではのリアリティを夢へ持ち込むようになっていた。

 


私は「美咲くんと私」に細かな設定を作っている。いや、もはや設定ではない。私は「創作夢主」と彼に恋愛をさせるのが好きなのではなく、「今この瞬間を25歳のOLとして生きている私」と彼の恋愛が好きなのである(まぁKの世界がとんでもないのでまるきり私というわけではない)



だから自作夢小説の中の私は顔が可愛いわけでもないし、物凄い能力があるわけでもないし、「おもしれえ女」でもない。

 


美咲くんとの出会いは千歳が幹事の合コン(美咲くんは全く乗り気じゃなかった)だったし、付き合って3ヶ月後に2人で選んだ部屋は駅から離れた1DKだし、美咲くんは今のところ老後に厚生年金が受け取れないフリーターだ。



私と美咲くんの生活には何も起こらない。私は美咲くんが戦っている姿を見たことがないし、吠舞羅がどんな集まりなのかも知らないし、昔猿比古と何があったのかを聞いたこともない。ドレスデン石盤やダモクレスの剣も全くの無関係だ。



けれども25歳の私が求めるのは、その劇的ではない彼との生活だ。



顔が可愛いわけでも腕っぷしが強いわけでもない。それなのに美咲くんが普通の私を好きでいてくれるなんてこんなに幸せなことはあるだろうか。



そうやって私は、できるだけありのままの自分と、クランズマンではない美咲くんとの恋愛を楽しんでいる。




自分で言うのも何だが、結構極限まで気持ちの悪いことをしているという自覚が少しある。だから少数しかフォロワーのいないTwitterでしかこの話はしないし、自作の小説もフォロワーにしか見れないようになっている。これは自衛であり、他人への配慮だ。



正直な話私よりも美咲くんが好きで、私よりも美咲くんとラブラブな女がいるとは思えないのだが、八田美咲というキャラクターが好きな人はこの世に沢山いるのだろう。私はその人たちの目には付きたくない。なぜなら私も他人のそれを見たくないからである。


自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけないのだ。



それと同時に美咲くんと私の恋愛に茶々を入れられるのも嫌だ。これは私と美咲くんだけが知っていればいい。




話が少し逸れるが、私のことをオタクだと知っている友人は限られている。多分「ちょっとアニメが好き」くらいの認識だ。でも私にとってはオタクということを全面に出すよりも、「休みの日はNetflixを見ている出不精の25OL」くらいに思われていたほうが生きやすい。



オタク一色で人生を終えたいわけではない。仕事にはやりがいを感じたいし、結婚して子どもも欲しい。ママが孫を可愛がってくれる姿だって見たい。だから私はなるべく皆に倣って生きるようにしている。それを苦痛だと思ったことはない。


アニメやゲームが好きだけれど、周りの子がしているようにするのだって好きだ。仕事の話だって、所謂現実の恋愛の話だってしたい。私は欲張りなのだ。



しかし私は、「現実」と一般的に言えば「妄想」の間に歪みを感じ始めている。

 


昔は割り切れるというか、区別できると思っていた。だから彼氏が居たこともあるし、人を好きになったこともある。



でも最近はそうじゃないのかもしれない。



誰も彼もを、美咲くんと比べてしまう。



美咲くんだったらこんなこと言わないのに、美咲くんだったら今ここでこう言ってくれるのに、そんなことを考えてしまうようになった。



こんなことに意味が無いのは私にだって分かっている。美咲くんのことは好きだし、美咲くんと私は付き合っているけど、それでは私が望むとおりの未来にはならない。それが分かっていたからこそ美咲くんとの生活が楽しくて、幸せだった。



でも今は少し不安だ。美咲くんと、私が出会うかもしれない誰かを比べずにいられるのか。



私と結婚をしてくれる人がいるとして、その人をことを美咲くんよりも好きにならなくちゃいけないわけではない。私の中にある世界では美咲くんが1番で、そうじゃない世界ではその人が1番と思えたらいい。



それは私がこれから先も、世界を分けて考えることができればの話だけれど。




美咲くんがこの世界にいないことなんて、初めからわかっている。美咲くんと手を繋ぐことも、キスをすることも、何もかもがこの世界では叶いはしない。それをわかって好きになったはずだったのに。


友達とメル画を集めていた頃の方が、好きなサイトで誰かの夢小説を読んでいた頃の方が現実を見ていた。大人になった私は「夢みる女の子」でいることをやめるどころか、休みなく夢を見続けるようになってしまった。



それでもいつか誰かと結婚が出来ればいい、可愛い子どもがいる家庭を築ければいい。それなら25歳の頃にこんなに悩んでいたことだって笑い飛ばせる。










でも本当は、それだって美咲くんとできたらいいのに、それが一番幸せなのにと、またこの瞬間も思ってしまうのである。